聲の形
この映画を観て、なぜだか思い出した。感動の押し売りが嫌で、見なくなったこのテレビ。
引用元:https://goo.gl/ljYcpq
ネットでは「チャリティでギャラが支払われるなんて海外ではありえない!」なんてことも言われている。
この物語は2人の少年少女が主人公。
聴覚障害を持つ転校生の硝子。
引用元:https://goo.gl/hsT7fk
その彼女をクラスの中心となりいじめる将也。
(将也は後にいじめられる側にもなる。)
引用元:https://goo.gl/7KCWER
この映画で最も重要な点は、硝子がむちゃくちゃ打たれ強いこと。何か理不尽な扱いをされても「ありがとう」または「ごめんなさい」と言う。小さい頃に教わった大切な2つの言葉。
でも、この硝子の行動はイライラする。「いやいや、そこまでいじめられて、その反応はありえないだろ?」と。こっちは怒るとか、泣くとか、辛い顔を「期待」しているのに。
引用元:https://goo.gl/T3NvvI
相手の気持ちを100%知ることはできない。そのため「自分」や「世の中の通常」が基準となり、それから外れる善は「偽善」と勝手に決めつけてしまう。そう、こっちが期待した反応と違い、それが善であるゆえ批判もできず、勝手にイライラするのである。
そして冒頭のチャリティ番組。偽善と決めつけ、ただ見るだけの「何もしない私」は苛立っていたのかもしれない。それぞれの当事者は純粋にチャリティと向き合い行動しているのに。
映画の中の硝子は、何か悟っているのではないかと思うほど、一貫して優しい。これはもう偽りなく善者であった。ここまで極端でなくとも、身近な問題に置き換えたとき、硝子のように強くなれるのだろうか?と問いかけたくなる。
引用元:https://goo.gl/qbyMN0